18w子宮内胎児死亡 処置、出産、供養の仕方③
こんにちは、ゆきちです。
昨日に引き続き死産のきろくです。
yu-kichi.hatenadiary.com
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処置3日目 =出産日=
朝8時半ころ
電解質を整える為の、ほぼ水の点滴を始める。
何かあったときのために、中心静脈のカテーテルをすぐに使える状態にしておくため。
9時前
精神科病棟から産婦人科の個室へ移動し再度LDRへ移動。
9:30
昨日入れたLサイズの棒を7本抜いて、陣痛誘発材の膣錠(坐薬のような形)をいれる。
9時、12時、3時の3回入れる予定。
すぐに下腹部が重くなってきて、陣痛が始まった。
9:45頃
硬膜外麻酔の為に手術室へ移動し麻酔。
10:00
麻酔開始、経過観察。この辺りが一番陣痛がキツかった。
10:15
大量破水した。
破水は初めてしたけど、最初は動く度に生理のように水っぽい何かが出て、大きく力を入れたときにジャバーとおしっこより勢いよく出た。
そばにいてくれた助産師さんに伝えると、パッドをパンツの中に入れて、さらにペットシートの様なものを腰に巻き付けて、次回の破水に備えてくれた。
冷たい氷のようなものを、腕とお腹や太ももにつけて冷たさを比べながら量を調節。
台を傾けたり調節しながら薬を流していく。
11時頃終わり、LDRへ戻り、陣痛との戦い。
17時頃出産の目安だからと陣痛チェッカーのアプリをインストール。
11:10
痛みと戦いながら使い方を見ていたら、ポロンとなんか出てきた感覚。
念のためナースコールして助産師さんに見てもらうと、早くも赤ちゃん出てきているとのこと。
びっくり。
11:18
産まれました。
性別はわからず。
分かってたことだけど、もちろん産声はない。
そのあとは胎盤待ち。
なかなか出てこないのでお腹のエコーで見ながら何かの器具でひっぱりだした。
出血量は450mlと多めだったとのこと。
1人目のときは722mlだったから、ましかな。
その後、夫と二人で過ごしたり、棺と替えのパンツ(破水でべちゃべちゃ)を部屋から持ってきてもらったりした。
その間親戚に出産報告をし、落ち着いた頃に赤ちゃんが来てくれて、3人で静かに過ごした。
夫は胎盤とへその緒も見させてもらっていて、赤ちゃんも直視したり、触ったり、よーく観察していた。
そして号泣していた。
私は頭だけちらっと見るだけで精一杯で、直視してあげられず、あとはケースごと抱っこして過ごした。
夫が、後悔したくないから、と写真を撮っていた。赤ちゃんとお別れし、しばらく休憩。
産後1時間半後位にトイレに立ったら、案外歩けて一人で行けた。
少しふらふらしたけど。
トイレでたーっくさんたまってたおしっこをして、立ち上がると胎盤のかけらのようなものが。
小さめのと、直径7~8㎝くらいの血のかたまりが2つポトンと落ちた。
便器の中は真っ赤っか。
そのあとまたベッドに戻り少し落ち着いたら、ストレッチャーに移り精神科病棟へ移動。
14:10
部屋に戻ったらとりあえず、血や破水で汚れている病衣から新しい病衣に着替えて、少し休んだら、遅めのお昼御飯。
14:20くらいだったかな?
ご飯はたくさん食べれたけど、鶏の照り焼きというメニューが鶏の照らず焼きに変わっていて残念だった。
この後の薬は、イチゴ味の抗生物質を引き続き飲むのと、炎症を起こさないようにするためのおっぱいの薬 。
母乳を止める薬は翌日1錠だけ飲む必要がある。
みっちゃんのときは母乳が思うように出なくて、周りから「母乳出てないんじゃないの?ミルクあげたら?」って言われて辛かったけど、今回は母乳が出ても飲む子がいない。
切ないな。
ご飯のあとはトイレに行ったり友達に死産の報告をしたりした。
みんな、優しい言葉をかけてくれて救われた。
夫のお義父さんとお義母さんが葬儀に梅干し県からわざわざ来てくれるかもしれない。
うれしい。
夫と母と相談しながらお通夜、葬儀、火葬の準備をした。
まずは私が明日退院できるかが課題。
それによって予定が変わってくる。
明日の朝採血をし、悪露などの母体の問題がなければ、棺のムーミンと共に退院予定。
家に帰り、家族でお通夜。
そのつぎの日は自宅葬をして、火葬場へ。
うまくいくかな。
赤ちゃんを無事に産んであげることができなかったから、
せめて最後まで見送ってあげたいな。
本音は、すぐにお腹に戻って生き返って欲しい。